2016年12月22日木曜日

マディーナー遺跡発掘報告書の刊行:2016年10月

北インド鉄器時代の遺跡であるマディーナー遺跡の発掘調査報告書を刊行しました。この遺跡はハリヤーナー州にある遺跡で、2009年にマハーリシ・ダヤーナンド大学が中心となって発掘調査が行われました。その出土遺物の整理を上杉が担当し、報告書の作成を進めてきましたが、その報告書を科研費の一部で刊行することができました。



北インド鉄器時代の村落遺跡で、遺構としては掘立柱式建物と考えられる柱穴列やカマド跡が発見され、遺物では土器、土偶、鉄製品、ファイアンス製装身具などが出土しています。注目すべきは、土器にバーラー式土器と呼ばれるインダス文明期以来の系統に属する土器と、北インド鉄器時代のガンガー平原西部を中心に出土する彩文灰色土器が同一層から出土していることです。このほかにも牛車形土製品やファイアンス製装身具などインダス文明系統の遺物と、鉄器時代になって北インドに導入されたと考えられる騎馬を表現した土偶が出土するなど、インダス文明期以来の文化伝統から鉄器時代の文化伝統を移り変わっていく、ちょうどその移行期に属する遺跡である可能性が高いと考えられます。

報告書はPDFでも公開していますので、ご関心のある方は下記のリンクからダウンロードしてください。

https://www.academia.edu/29363172/EXCAVATIONS_AT_MADINA_DISTRICT_ROHTAK_HARYANA_INDIA

インド調査:2016年11月20日〜12月9日

11月20日〜12月9日まで、インド、マハーラーシュトラ州ナーグプル所在のマハーラーシュトラ州政府考古局ナーグプル支局で南インド巨石文化関連資料の調査と、ナーグプル近郊にあるマッリ遺跡の測量調査を実施してきました。

資料調査はマッリ遺跡から出土した土器および鉄滓を対象としたもので、前1千年紀前半の南インド巨石文化関連の土器の実測を行うとともに、鉄滓の肉眼観察から同遺跡での製鉄工程の復元を進めました。鉄滓の検討には愛媛大学の笹田朋孝 さんと富山大学の長柄毅一さんに参加していただき、製錬から鍛造工程にいたる一連の製鉄作業が行われていたことが確認できました。

南インド巨石文化は豊富な鉄製品を副葬品として用いており、その背景には盛んな鉄生産が行われていたことが推定されますが、冶金考古学的な分析が行われた遺跡は少なく、どのような技術を用いて鉄生産が行われていたのかよくわかっていません。今回の調査は予備的なものでしたが、今後の本格的な研究の出発点を準備することができました。

マッリ遺跡の古墳:環状列石と石槨の天井石が残る。

マッリ遺跡の測量調査ではドローンによる広域測量を試み、地形と古墳の分布の関係を検討するための基礎資料を作成することができました。多数の古墳が支群を形成しながら全体の古墳群を形作っており、以前にこの遺跡で行われた古墳の発掘調査成果とあわせながら、古墳群の形成過程を明らかにしたいと考えています。ちなみにこのマッリ遺跡で確認されている古墳は、ナーグプル周辺に数多く分布する積石塚とはことなり、環状列石の内部に小さな石槨を築くという形式が主体となっています。一般的な積石塚の場合、墳丘の内部に埋葬施設が築かれることはないのですが、マッリ遺跡の石槨を有する古墳は、一般的な積石塚とは異なる系統にある、もしくは時期が異なる可能性を示唆しています。


マハーラーシュトラ州政府考古局ナーグプル支局と共同でナーグプル周辺の古墳群の分布調査を実施していますが、今後さらに調査を進めていくことによって、古墳群間の比較研究を行いたいと考えています。

なお、調査の実施にあたっては、ナーグプル支局局長のヴィラーグ・ソーンタッケー氏のご協力を得ました。記して御礼申し上げます。

2016年11月20日日曜日

イギリスでの資料調査:2016年11月5日〜11月14日

11月5日〜11月14日までイギリスに出張してきました。目的はケンブリッジ大学にある考古学・人類学博物館と大英博物館での資料調査。両博物館に収蔵されるインド由来の石製装身具についての調査でした。イギリスはその植民地経営の中で南アジア各地で遺跡の考古学調査を実施し、その出土品の一部をイギリス本国に持ち帰っています。今回の調査対象はそうした19世紀から20世紀前半にかけてインド・パキスタンから将来された資料です。出土地の詳細がわからなくなっているものもありましたが、タクシラー遺跡や南インドの古墳から出土した紅玉髄、瑪瑙、水晶などの石材でつくられたビーズは現在でも非常に重要な資料となっています。



調査の結果、これらのビーズは前1千年紀、すなわち鉄器時代の資料であることが明らかになりましたが、この時期に北インドでも南インドでも共通する特徴をもったビーズが分布することがほぼ確実になりました。この時期の北インドはガンガー平原に都市社会が形成され、南インドでは巨石文化が広く展開します。どうやら前1千年紀前葉に北インドで生産が活発化した石製装身具が何らかの契機において南インドにも流入するようになり、南インドでも石材原産地の近くで北インド系のビーズが生産されるようになります。それが南インド各地に流通し、特に古墳の副葬品として用いられるようになったと考えられます。北インドと南インドの交流関係、すなわち南アジア世界の形成過程を明らかにする上で非常に重要な知見が得られつつあります。


インド博物館での講演:2016年9月24日

コルカーターにあるインド博物館で、「Archaeology of Interregional Interactions across South Asia」と題した講演をさせていただきました。インダス文明の形成からその衰退、ガンガー平原の開発、鉄器時代における北インドと南インドの交流関係など、本科研プロジェクトで研究課題としているテーマについて、最近の研究成果を盛り込みつつお話をさせていただきました。講演内容についてはおおむね好意的に受け入れられ、たくさんの質問を聴衆の方からいただきました。

特に最近の研究成果としては、石製装身具の研究が挙げられます。前1千年紀前半の段階で北インドから南インドまで共通の形態、装飾、製作技術によって特徴づけられる紅玉髄・瑪瑙・水晶製玉が分布するようになったことが確実になってきており、この時期に北インドと南インドの交流関係が強化されていたことが推測できます。これまで北インドと南インドの鉄器文化を交流関係という視点から論じた研究はほとんどなく、鉄器時代におけるダイナミックな地域間交流の中で北インドと南インドがつながり、社会変容を引き起こしていったと考えられます。

確実に研究成果があがりつつあります。今後の調査・研究にご期待ください。



2016年10月24日月曜日

栽培植物に関する研究会を開催しました:2016年7月23・24日

去る7月23・24日に山梨県立博物館に置いて、南アジアの栽培植物に関する研究会を開催しました。打ち合わせに近い研究会でしたが、山梨県教育委員会の中山誠二さんと東京大学博物館の赤司千恵さんとともに、西アジアから南アジアにおける栽培植物の歴史について検討を行いました。

この分野に関しては、今回の科研プロジェクトではまだ十分な成果が上がっていませんが、シリコーンを用いたレプリカSEM法による種子圧痕の研究を進めています。今後の研究成果にご期待ください。

パンジャーブ州ジャウラー・カーラーン遺跡採集土器の
サンプルから得られたイネの圧痕(前2千年紀前半)

2016年10月4日火曜日

新聞記事:2016年9月23日

産經新聞でプロジェクトの調査内容が紹介されました。開発に伴う遺跡破壊の側面が取り上げられた記事ですが、プロジェクトを通して少しでも問題の解決につながるよう努力していきたいと考えています。


2016年9月27日火曜日

研究発表「北インド鉄器時代の諸相−マディーナー遺跡の発掘調査成果を中心に−」:2016年7月2日

ヘレニズム〜イスラーム考古学研究会において、「北インド鉄器時代の諸相−マディーナー遺跡の発掘調査成果を中心に−」と題した研究発表を行いました。2009年にマハーリシ・ダヤーナンド大学のマーンモーハン・クマール教授を中心に行われたマディーナー遺跡の発掘調査の成果をもとに北インド鉄器時代の諸相について検討を加えたものです。



この遺跡は北インド鉄器時代を特徴づける彩文灰色土器文化期の遺跡ですが、バーラー式土器と呼ばれるインダス文明期の土器の系統にある土器と彩文灰色土器が揃って出土しています。バーラー式土器と彩文灰色土器の関係は、バグワーンプラ遺跡の発掘調査以来大きな研究課題となっていますが、それは旧来の文化(バーラー文化)から新出の文化(彩文灰色土器文化)への移行を考える上で重要と考えられるからです。ちょうど彩文灰色土器が北インドに出現する時期(前2千年紀後半)に鉄器が北インドに出現しており、新たな文化と技術の登場が北インド鉄器時代のはじまりを示しています。

マディーナー遺跡ではバーラー式土器とファイアンス製装身具というインダス文明系統の遺物と彩文灰色土器、鉄器という新たな文化に属する遺物がともに出土していることから、前2千年紀後半の文化交替の時期における重要な遺跡と考えられます。しかしながら、この遺跡では年代測定試料を採取することができず、理化学的手法による年代値を得ることができませんでした。文化交替が生じた時期やそのプロセスについてはさらなる調査と研究が不可欠ですが、出土した遺構・遺物は北インド鉄器時代の諸相を考える上で非常に重要ということができます。

鉄器時代における北インドと南インドの関係を明らかにすることをこの研究プロジェクトの課題の一つとしています。両地域の関係を視野に入れながら、南アジアにおける鉄器時代の編年と社会・文化の様相について考察していきたいと考えています。

2016年6月29日水曜日

研究発表「南インド巨石文化における古墳変遷に関する基礎的研究」:2016年6月25日

2016年5月25・26日に立教大学で開催された日本西アジア考古学会第21回大会で、「南インド巨石文化における古墳変遷に関する基礎的研究」と題した研究発表を行いました。



過去2年間の現地調査で進めてきた南インド巨石文化に属する各地の古墳の形態について、3Dモデルをもとに整理し、その空間分布をもとに検討し、時期的変遷の可能性について考察しました。まだまだ資料数が十分ではなく、空間分布の範囲の推定や各形式の時間幅など多くの課題がありますが、今後の研究の基礎を提示できたと考えています。

南インド巨石文化期の古墳形式分類案

今後の現地調査ではさらに各地の古墳の記録を進めるとともに、時期・年代推定の手がかりを得ることができるよう、現地の研究者と共同で研究を進めていきたいと考えています。

2016年6月7日火曜日

調査成果のご紹介:2016年5月15日〜6月5日

2016年5月15日〜6月5日まで、インド、ケーララ州およびカルナータカ州で調査を実施しました。

ケーララ州では当初、南インド巨石文化遺跡の分布調査を予定していましたが、例年よりも2〜3週間早い雨季の到来により、調査内容を変更し、ケーララ州立大学所蔵考古資料の記録化と分析を行いました。対象としたのは、ケーララ州立大学考古学科がグジャラート州で実施しているインダス文明遺跡の分布調査で採集された石製玉類を中心とする資料と、同じく同大学が以前に実施したケーララ州所在ニラマンクラム遺跡(南インド巨石文化期の古墳群)出土の土器資料です。

石製玉類はインダス文明期とその後の鉄器時代をつなぐ重要な考古資料の一つで、その形態的・技術的研究によって、技術継承・変容・拡散、社会・文化的価値の変容といったテーマを論ずることが可能になると考えています。私見では、インダス文明衰退後にインダス文明期の玉作りの技術が東方地域(ガンガー平原)に拡散し、それが鉄器時代の玉作りの基盤をなすとともに、前1千年紀の段階で南インドにも拡散し、南インド巨石文化期における副葬品として利用されるようになったと考えています。南インドに拡散していく中で、一種の威信財として新たな意味・価値を付与され、さらには前1千年紀後半の段階で海洋交易の発達とともに東南アジアへと輸出されるようになった可能性が高いと考えられます。こうした石製装身具の歴史的重要性を鑑みると、インダス文明期以降の石製装身具の変遷を巨視的・微視的に解明していくことが不可欠の研究課題といえます。

また、ニラマンクラム遺跡では古墳から土器・石製装身具が出土しています。以前からこの遺跡の出土資料の記録化を進めてきましたが、今回はその残りの資料の検討を行うことによって、ケーララ州域における南インド巨石文化期の土器の特徴の把握が可能になりました。年代測定の結果、この古墳は前4・3世紀以降のものである可能性が示唆されていますので、出土土器に一定の年代的定点を与えることができ、他地域の土器との比較によって南インド巨石文化編年の構築へと展開していくことが期待されます。

またケーララ州立大学では、5月27日にプロジェクトに関する研究成果について講演する機会を与えられました。現地の研究者・学生との交流によって、今後の調査の基礎を築くことができました。


講演の様子

カルナータカ州では、その北部に位置するアイホーレー遺跡、ヒレベンカル遺跡の現地調査を実施しました。これら2つの遺跡は以前からよく知られた遺跡ですが、その実態があまりよくわからないのが実情でした。今回の調査は短期間の予備的な調査でしたが、これらの遺跡に特徴的な地上型石槨墓について理解を深めることができました。

ヒレベンカル遺跡

南インド巨石文化期のインド半島部にはさまざまな形態の古墳が存在していますが、それらの系統関係、編年的位置関係についてはよくわかっていません。まさにこの点の解明が本研究プロジェクトの課題なのですが、継続的に実施してきた各地の古墳の現地調査によって、形態的比較研究が可能になりつつあります。今回訪れたアイホーレー遺跡、ヒレベンカル遺跡もこうした古墳形態の展開を考える上で非常に重要な遺跡として位置づけることができます。

新聞記事:2016年5月7日

2016年5月7日付の信濃毎日新聞夕刊に調査の一部を紹介した記事が掲載されました。

3月にマハーラーシュトラ州ナーグプル市周辺で調査を行っていた際に取材を受けたもので、南インド巨石文化遺跡を取り巻く破壊の危機と調査の必要性についてまとめてくださっています。

遺跡の破壊は、文化遺産・文化財あるいは考古学研究において不可避的な課題の一つとなっていますが、現地の調査・研究機関と協力しつつ、取り組んでいきたいと考えています。


2016年4月5日火曜日

南インド巨石文化遺跡分布図


南インド巨石文化の分布図をあげておきます。この分布図は下記のデータソースからGISソフト上に遺跡の位置を読み込んだもので、約2000ヶ所の遺跡が知られています。近年発見されたものも加えると、2500ヶ所以上になると予想されます。

これらの遺跡の大半は古墳群で、数基から千基にも及ぶ古墳が群集して遺跡を構成しています。中にはすでに破壊されてしまったものもあり、また現在進行形で破壊が進むものもあります。さらに各古墳群の構成の詳細がわかる例は限られており、記録化が急務となっています。

本プロジェクトでは可能な限りこれらの遺跡の記録化を実施したいと考えています。

<データソース>
深尾淳一 1994 「巨石文化の地域的展開」『ドラヴィダの世界 インド入門Ⅱ』東京大学出版会、128~140頁.

2016年4月4日月曜日

第1次科研調査

2月23日〜3月30日に上杉がインドに渡航し、第1次現地調査を実施しました。

今回は、テーランガーナー州、アーンドラ・プラデーシュ州およびマハーラーシュトラ州における南インド巨石文化期の古墳群の分布調査を実施しました。テーランガーナー州ではムドゥマーラー遺跡、カンドゥール遺跡、アーンドラ・プラデーシュ州ではカディリラヤチェヴル遺跡、マハーラーシュトラ州ではラーイプル・ヒングナー遺跡およびムルティー遺跡を調査の対象としました。

テーランガーナー州カンドゥール遺跡
テーランガーナー州ムドゥマーラー遺跡
アーンドラ・プラデーシュ州カディリラヤチェヴル遺跡

マハーラーシュトラ州ムルティー遺跡

記録されることなく破壊が進む古墳群の現状を記録することは喫緊の課題であり、将来の研究の基礎を築くものです。今回は高精度GNSSを用いて各遺跡における古墳の分布と大きさを記録するといった予備的なものでしたが、今回の調査で得られた成果をもとに、今後より精度の高い記録化を進めていきたいと考えています。

また、ハイデラーバード大学歴史学科およびマハーラーシュトラ州政府考古局ナーグプル支局の協力を得て、それぞれの機関がこれまでの調査で得た土器・石器資料の記録化も併行して実施しました。

2016年1月12日火曜日

研究論文「「南アジア系」石製装身具の生産と流通に関する覚書」

『第22回ヘレニズム〜イスラーム考古学研究』に「「南アジア系」石製装身具の生産と流通に関する覚書」と題した研究論文を発表しました。

この論文では、南アジアにおける青銅器時代〜鉄器時代の石製装身具の変遷を概観するとともに、西アジア、東南アジアにおける資料についても概観し、南アジア系石製装身具との関係を考察したものです。

http://southasia.world.coocan.jp/Uesugi_2015g_HR.pdf

青銅器時代以来、南アジアは石製装身具の生産の中心とみなされてきましたが、具体的に西アジアや東南アジアで出土する石製装身具が南アジアのそれとどのような関係にあるのか、南アジア周辺地域で出土する石製装身具が本当に南アジア産なのか詳細な検討が進んでいません。

この論文での検討の結果(まだまだ予察的ですが)、青銅器時代、鉄器時代ともにかなり南アジア産もしくは南アジアの石製装身具の影響を受けたと考えられるものが、各地で出土していることを確認することができました。そうした中で、南インドも海洋交易に関わる地域として、周辺地域への石製装身具の拡散過程において重要な役割を果たしていたと考えられます。

南インド先史社会の変容を考えるときに、海洋交易は非常に重要なキーワードであることが再認識できました。今後の現地調査で石製装身具の研究を進めていければと考えています。

研究発表「南アジアにおける鉄器時代の諸相」:2016年1月9日



1月9日に第9回アジア考古学四学会合同講演会にて、「南アジアにおける鉄器時代の諸相」と題した講演をさせていただきました。

南アジアにおける鉄研究の歴史、北インドおよび南インドにおける鉄器の特徴、そして鉄器が導入された歴史的背景についてお話をさせていただきました。

南アジアの鉄については、さまざまな先行研究がありますが、その起源や拡散の過程、またどういった社会状況の中で鉄が導入され普及していったのかわかっていないことが数多くあります。そうした研究の現状を確認する程度の内容でしたが、村上恭通先生(中央ユーラシア・東アジア)、山形真理子先生(東南アジア)、津本英利先生(西アジア)のご講演内容と関連づけると、今後の研究の出発点を準備することができたのではないかと考えています。