2017年6月27日火曜日

バハレーン調査:2017年5月31日〜6月20日

5月31日から6月20日までバハレーンで資料調査を実施しました。南インドとバハレーン?という疑問ももたれるかもしれませんが、西暦紀元前後の時期(ティロス時代)にバハレーンに残された墳墓から数多くの石製装身具が出土しており、それらがインド産である可能性が高いことから、その記録・分析を行ってきました。まだまだいくつかのステップを踏まないと結論にはいたりませんが、インド産の可能性がきわめて高いと考えています。その根拠としては、紅玉髄、瑪瑙、アメジストという同時代のインドと同じ石材が用いられていること、形態的にもインドに共通するものが多く含まれること、そして穿孔技術という地域的特性を強く反映すると考えられる技術的要素において、インドと同じ技術の使用を示すデータが得られたことによります。

バハレーン出土のインド系玉

現在得られているデータからみると、前4世紀にはインドと東南アジアの海洋交易が活発化しはじめていたことがしられており、前1世紀から後1世紀には海洋交易が最盛期を迎えます。有名な『エリュトゥラー海案内記』には、1世紀頃の地中海世界とインド世界、東南アジア世界をつなぐ海洋交易について描写されていますが、まさにその時代の資料がバハレーン出土の石製装身具であり、インドの石製装身具ということになります。それを具体的に検討することによって、海洋交易の実態を明らかにすることができると考えています。

タイで出土するインド系玉

長い海岸線をもつ南インドも海洋交易の中に深く取り込まれていたと考えられますが、バハレーン出土の石製装身具がインド産とすると、インドのどこでつくられたものでしょうか。可能性としては、南インド、北インド、そしてバローチスターンが候補地としてあげられます。これを特定するには、まだまだ資料が足りませんが、バハレーンという消費地で出土した資料から生産地であるインドの様相を考えてみることも、大変重要です。

南インド巨石文化は前1千年紀末までに衰退すると考えられますが、その衰退の先にはどのような社会が展開したのでしょうか。ある特徴をもった考古文化の「衰退」は、その担い手の死滅を意味しているわけではありません。何かの理由によりある文化が変化し、周辺地域との関係の中で、新しい社会の様態へと転じていくというのが、社会・文化変化の実態です。南インド巨石文化が新たな社会へと変貌していく過程に海洋交易の活発化、周辺地域との新たな交流関係の形成が関わっていたのではないかというのが、現在抱いている一つのシナリオです。広大な地域空間の中に南インドを位置づけていくことによって、南インド社会の変容を理解していきたいと考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿